みぞれ混じりの雨が降る琵琶湖のほとり。
旅の初日、筆者は車の中で眠りについたのだった。


B長命寺

4月13(土)5時
外部の騒々しい物音で目が覚めた。
カーテンの隙間からのぞいてみると氷雨をついて漁船が一斉に出港するところであった。
何の漁かは分からないが、昨夜の静けさと対照的なこの活気にはおどろかされた。
しかし、港が死んでいなかったことの証を見て、なにかホッとするものもあった。
朝食には早い時間であり、程なく雨があがったので散歩にでることにした。
道路を挟んだ山の手に、長命寺という寺があることから、この港の名前は長命寺港であることが分かった。
参詣者のための港でもあるようだ。

寺にさほど興味はないが、他にぶらつくところもないので、行ってみることにした。 
先ずは『西国三一番札所長命寺』と書かれた石の門柱が目についた。 
そして案内板の矢印に従って少し行くと石段があり、その奥に寺らしき建物があったので近寄ってみるとそれは巡礼などが泊まる宿坊であった。 寺はこの山のかなり上の方にあるようで、車で上れる道がうねうねと続いている。
引き返そうかとも思ったが、朝の新鮮な空気を吸いながら上っていけばいい運動になるし、もしかしたら寺からは琵琶湖が一望に見渡せるかもしれないと思ったので歩を進めた。
山道は、脇に竹藪があったり、空き缶が散乱する雑木林があったりで、古寺へ向かう巡礼の姿が似合うような雰囲気はなにもない。
どこで引き返そうかと迷いながら、次のカーブまで次のカーブまでと目標の上方修正をしながら登って行った。 
そうしているうちに杉の大木が目につくようになり、木々の間から湖の一部が展望できたりと、いい雰囲気になってきたので、『一応、山門までいってみるべし』と方針が変わった。

ようやく到達した山門は固く閉ざされていた。
「息をはずませてここまで来てやったのにそれはないだろう!」と声に出してぼやいた。
「俺はそうじゃないからいいようなものだけど、神仏に最後の望みを託して詣でた、事情のある人なら落胆して大変なことになるよ!」とも言ってしまった。
寺などというものはだいたい読経、勤行などで早起きのはずなのに、境内は静まり返り、ひっそりとして何かの動く気配が全くない。       

門の前からこの山の麓に向かってまっすぐの石段が続いている。 本来ならばこの石段を登って山門に到達すべきだったのだが取り付きを間違えて側道を来てしまい、山門の直前で合流する結果となってしまったのだ。               「しかしこの山門は寺の入り口というより城の入り口という雰囲気だなあ・・・。」
石段の両側は高い石垣で守られ、猫でも乗り越えるのは難しそうだ。 案外、戦乱の時代には僧兵などがうろついていたのかもしれない。              
「ここでスゴスゴ帰るような私ではございません」 
実はこの山門の百メートルほど手前に簡単な通行止めのしてある、もう一つの道があるのを見てきている。
あの道はきっとこの山門をまいて境内に通じているに違いない。 
そこで、分岐点まで戻り、とうせん棒をすり抜けて上っていくと果たして寺の境内にでた。



特別広いとはいえないが、なかなか歴史を感じさせる、渋いお寺である。
中央講堂の右手にさめた朱色の三重の塔がある。 左手にはさらにいくつかのお堂と鐘楼、奥には独立した能舞台のような建物がみえる。 茅葺きの屋根はいずれも昨夜降ったみぞれをのせて白く浮き上がり、建物の古さと対照され美しい。
目を転じると樹齢数百年という杉の大木のむこうに、ようやく明るさを得た琵琶湖を望むことができた。

さして興味もないままやってきたが、人影のない境内にたたずみ、眼下の湖面を目にした時、その山水画のような美しさに、来てよかったなと思った。

帰りは石段を一気に下ったが、あまりの長さに、下りきったときは膝が笑っていた。
車にもどってみると桟橋で青年が二人、ルアーつりをしていた。
じゃがいもとタマネギのみそ汁、それとごはんだけの朝食をつくって食べた。
タバコをいっぷくすって時計を見ると八時二八分であった。

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