5)認知症という診断 2008/11/11
妻が認知症と分かったのはいつだったかしら。
1999年春まで妻は「お店ごっこ」という名の趣味の雑貨店を店長としてきりもりしていました。
それを経営困難と、お店をやっていると休みがとれないなどの理由で閉めたのですが、
その時点では伝票処理などで能率悪さはあったものの、物忘れなどのめだった症状はありませんでした。
店をやめてから5年後の2004年、「お母さんちょっとおかしいよ、病院でみてもらったほうがいいよ」
と娘たちにうながされて脳神経外科の病院に行ったのが4月11日のことでした。
たしかにその頃、バナナをミカンというなどの言い間違いが目立ってきていましたが、まさか認知症とは考えてもいませんでした。
それが長谷川式テストとMRIの結果から若年性アルツハイマー病という診断が下ったときは愕然としました。
この病気は治療法がないことを知っていたからです。
患者は唯一、進行を遅らせる薬として塩酸ドネペジル(アリセプト)を服用するしかありません。
薬は2008年9月までアリセプトに加え脳の血流を改善するサーミオンと動脈硬化を予防するリポバスを併用してきましたが、
まあ、効果はなかったといわざるを得ません。
認知症とわかってから1年後の2005年4月には言葉のいい間違いは顕著になり
短期記憶にも難があるもののまだ簡単な料理もできていました。
脳にはある部分の機能が失われると別の部分で代替するという可塑性とよばれる能力があることが知られています。
その機能に期待して、2005年7月から川島隆太の計算ドリル、読み書きドリル本により、いわゆる「脳トレ」をはじめました。
また私と一緒に日記をつけるのを午前中の日課としました。
しかしさらに1年後の2006年4月にはドリルは苦痛でしかなくなったのでやめ、日記も書けなくなっていました。
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