特養入所  2015  9/23

かねてより先生にすすめられていた特別養護老人ホームへの入所を決心し、本日正式に手続きをおえました。

入所を決心した理由は、
一つには私の健康上の不安です。
高血圧はアーチストを常用してなんとかコントロールできていますが、しばしば不整脈が起こるのが気になります。
先日、妹が脳動脈瘤の手術をしたところですが、
自分の父親がそれで落命したので遺伝的に自分も可能性があるのも考えに入れておく必要があると感じます。
自分がなにかで死ぬのは仕方ないとしても共倒れになるのは避けたいです。

二つ目は、かねてより申し込んでいた特養の空きができ入所が可能となったことです。
入所待ちが多くてなかなか順番がこない現状で、
どこでも良いなら入所可能なホームは見つかるのかもしれませんが、
長年おせわになっていて、顔見知りの職員が多いシャロームへの入所チャンスはめったに巡ってこないのです。

入所を決断した今の気持ちは喪失感のひとことです。
ほとんど反応もなくなった彼女でも、いるだけで介護の張り合いがあって今日まできました。
それが死別するときはこんなではなかろうかと思うほど深いところで悲しいのです。
お母さんの介護をしていた藤川幸之助さんの文章に、
施設に入れた日、母は、帰ろうとする私の服の裾をぎゅっと握ってきた。 
何度も何度も。「お母さんの家はここなんぞ!」。
驚いた母が手を離したすきに、走って施設をはなれた。
母を捨てたのだと思った。
というのがあったけど、私も“マーちゃんを捨てる”ことになる悲しさだ。
クライマーが共に死ぬのを避けるためにロープを切るときの“緊急避難”という言葉や
“保護責任者遺棄”という言葉も浮かんできました。
デイサービスやショートステイをつかいながらやってきた介護は特別大変ではないし、
まだまだつづけられるはずです。
でも、必ずいつかは別れの時がくるのは確か。 
これはその予行演習みたいなものと考えようか。

私の生活リズムは介護を中心に刻まれてきました。 
特養にあずけて一人暮らしをはじめたら生活が乱れるかもしれません。

今後ますます重症化していくのでしょうが、延命措置はしたくありません。
なるべく肺炎その他の病気をかかえることなく、穏やかな老衰的な死を迎えられるよう願うばかりです。