介護の作業 2010/4/1

介護するものにとってなにがストレスになるかといえば、「どんなにがんばっても、病気が改善するどころか、
どんどん悪化するので無力感におそわれる」ことでしょうか。
いままでできていたことができなくなるという場面を日夜つきつけられるのはほんとうにやりきれないものです。 
いろいろなことが出来ないのは赤ん坊と同じですが、子育てと決定的に違うのは、
一方は徐々に能力アップしていくのに、こちらは一方通行でダウンしていくところです。
だから、例えば昨日できたことが今日出来なかったりすると、前のようにできるようにしてやろうとがんばるうちに、
怒鳴ったり時にはパチンとたたいたりしてしまいます。 それはもう子供を虐待する親と同様、自分がイライラすることの結果なのです。

認知症介護を難しくしているもう一つの問題があります。
それは介護されるひとの表現力が低下しているため、いろいろな手助けがどの程度役にたっているのか、反応が分かりにくいという問題です。 
不快が解消し、心配が除かれていることがこちらに伝わってきさえすればどんなにか喜びになるのでしょうが。
やりがいなど求めず、してあげたほうが良いと思うことをひたすらするのが介護なのかもしれません。

介護にも技術というものがあります。 
うまく寝返りさせる技術、座っている状態から立ち上がってもらう技術などをテレビで見たことがありますが、
介護者にとっては省エネで、しかも介護されるひとにとっても、自分の力でなにかができる喜びにつながり、
リハビリ効果がある優れた技術だなあ〜と感心します。
しかし、生活場面はそればかりではなくあらゆる動作の手助けにうまいやりかたがあり、
それは介護者が工夫をしながら経験を積んで得られるものです。

まあちゃんは排尿、排便が意識的にできないのでオムツを使っていますが、いわゆる下の世話にもさまざまな工夫が必要です。 
オムツの種類、中に入れるパッドの種類、はかせ方、交換のタイミングから汚れたオムツの始末のしかたまで、
また時にはオーバーフローでふとんをぬらすこともありますがそのときの対応など細かなノウハウは数え切れません。
そしてそれらは全て試行錯誤の末に徐々に改善されてきます。 
最初はパニック状態で、途方にくれますが、よくしたもので、回を重ねるたびに気楽に対応できるものです。

これまでに最もてこずったのは排便の処理でした。 ウンチをもらしているなというのは匂いで気づきます。 
便のたまったオムツは注意深くとらなくてはなりません。 うっかりすると、体や着衣や床や壁を汚すことになります。 
オムツを取り去ってからが一苦労です。 お尻や局部に入ってしまったものをきれいにしなくてはなりません。 
オムツとりかえ手袋というものが販売されえいますが、これをつけてウォッシュレットの水で洗おうとするのですがなかなかきれいになりません。 
キャップに孔をあけたベットボトルの水を前のほうからかけて洗ったりもしました。 
トイレできれいになりきれないときは風呂場でシャワーを使うことになります。 
我が家ではトイレと風呂場が壁出仕切られているので移動する途中に排便が起こったりして失敗することがありました。 
便の始末をもっと快適にできないかと考えたあげく、今ではトイレと風呂場の壁をぶち抜き、簡単に行き来できるようにリフォームし、
さらに冬場に備え浴室ガス暖房設備をつけてしまいました。
リフォーム後は家で便をもらしてもうろたえることはなくなりました。

外出するときは身障者用トイレがあるかないか必ずチェックします。 
今まで気にも留めていなかった設備でしたがいまではとても有難い設備だと痛感しています。 
それでもウォッシュレットのないものは多いし、シャワー設備のあるものなどないので、
外でウンチをもろしたときは適当に始末して急いで家に戻るしかありません。

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